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名前好きですか?~看取るということ

 

自分の名前好きですか。

 

私は好きです。

 

一度も一回で読まれたことはない

私の名前は

 

「方恵」と書いて

「みちえ」と読みます。

 

読めないですよね。

 

でもね、

そこがイイのです。

 

自分の名前の読み方だけで、

初対面の人と話のきっかけになるから。

 

最愛の母がつけてくれた名前。

 

でも私には幼少期からあだ名があり、

「ミミ」

 

幼い私が自分で

「ミミって呼んで!」

と言ったらしい。

 

家族、友人含めほとんどの人は

私のことをミミと呼ぶ。

 

そして現在の活動名も

「mimi yoga」です。

 

 

最愛の母は11年前に他界。

末期の肺がんを患い、

わかったときには既に一番遠い脳にも転移していた。

 

余命は1年。

 

私は母の看病、介護、そして

食事療法も独学で学び実践し、

 

病院や施設にはいれたくない、

という思いが強く、

自宅で母をサポートした。

 

母は医者の余命宣告1年を

1年3か月へ延ばした。

 

この1年と3か月間の出来事は

生々しい人間の心、

そのものだった。

 

不安、恐怖、怒り、悲しみ、無力さ、

情けなさ、失望、孤独、葛藤、矛盾、

感謝、愛、愛しさ…

 

そして、

若葉がキラキラ光輝く5月のある朝、

母は旅立った。

 

その数日前から

私は病院に泊まり込んでいた。

 

もう遠くはない、

それをわかっていたから。

 

母のそばに出来るだけいたかったから。

 

病院の母のベッドの横に簡易ベッドで

病院に泊まっていた。

 

そして

私の心身も疲労のピークだったのだろう。

 

一度家に戻り短時間でも睡眠をとる方が良い、

と思い、看護師さんからも言われ、

私はその選択をした。

 

「何かあればこの携帯を鳴らします」

と看護師さんから預かった。

 

そして私はクタクタな心身で車を走らせ

自宅へ戻り、ベッドになだれ込んだ。

 

何時間寝たのか、それも全くわからない。

 

自分が今どこで休んでるのかもわからない、

そんなぼんやりとした状態のなか、

 

どこかで携帯がなっていた。

寝ぼけているのか、

感覚もあやふやな私。

 

でも

聞き覚えのない携帯の音は確かだった。

 

そして、

これ私の携帯じゃない。

病院で渡された携帯だ、それが鳴ってる...

 

その瞬間、

何が起きたかわかった、

 

そこからの私の行動は…

今でも人に話せないことがある...

 

 

 

今日は話がだいぶ逸れてしまった。

 

最愛の母がつけてくれた私の名前、

幼少期~学生、今に至るまで

あだ名で呼ばれるのがほとんどだけど、

 

今、「方恵」と呼ばれることが

とても嬉しく思う。

 

その度に母に

「方恵」ってつけてくれて

ありがとう!って思う。

 

 

母が名前に込めてくれた思いを

感じる。

 

感じれることが

有難くてあたたかくなる。

 

 

11年経った今も、

母が私の名前を呼ぶその音を

 

忘れたことは一度もない。

 

最愛の人に

名前を呼ばれる幸せ

 

大切にしたい。